渡辺美輪の川柳入門

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zoom RSS 川柳の六大家(4)椙元紋太

<<   作成日時 : 2010/10/31 19:27   >>

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川柳の六大家、4人目は椙元紋太すぎもともんた)のご紹介です。
紋太は神戸市生まれ。14歳で父を亡くし丁稚奉公、後には菓子商甘源堂主人になりますが、商売のかたわら川柳にも熱心に取り組み、関西柳誌の有力同人となります。
41歳で「ふあうすと」を創刊しますが、その巻頭言で『「ふあうすと」が出た。偶然に出た。誰が主唱者でもない。誰が発起人というでもない。……現実の僕等は何はともあれ、ただ川柳を真っ向にいただいて精進するのみである。それを助けるのがふあうすとの存在である』と宣言し、『……フアウスト的、メフィストフェレス的なものが作句の心がけにも通じる』と述べています。
昭和18年、英文字追放で誌名を「もめん」、吟社名も木綿川柳社と改称。戦争の激化により19年4月号をもって休刊しますが、終戦後の21年、西宮に転居し「ふあうすと」復刊。その後脳溢血で倒れてからも、病床から投句と柳論の執筆を続けました。

 電熱器にこっと笑うようにつき   紋太
 大笑いした夜やっぱり一人寝る   〃
 知ってるかあははと手品やめにする 〃


紋太は「川柳は人間である」と主張し、川柳もあくまでも平明で人間的な作風を貫きました。日常茶飯的な身辺雑事を句材としていますが、平成の今こうして見ても、その普遍性と口承性に改めて驚かされます。「ふあうすと」二代目主幹の鈴木九葉が「初め軽く見ていた一句一句が、いつの間にか、かさなりあい時の流れも加わって、一枚岩になっている」と言っているように、紋太の句は一つのかたまりとして鑑賞すべきでしょう。

昭和45年死去、享年79歳。著書「わだち」「茶の間」「微笑園」等多数。彼の興した「ふあうすと」は、現在も関西の有力柳社として息づいています。

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