渡辺美輪の川柳入門

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zoom RSS 川柳の六大家(3)村田周魚

<<   作成日時 : 2010/10/31 18:59   >>

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川柳の六大家、三人目は村田周魚むらたしゅうぎょ)をご紹介します。
周魚は東京下谷区生まれで、父は俳諧師でした。そのため小学生の頃から、自身でいうところの「門内の小僧」として、自宅で開催された俳句の運座に連なっていたのです。やがて俳諧の耳学問から前句附を知り、俳句から川柳に転じ、大正二年、剣花坊の柳樽寺川柳会の同人となります。
大正九年、きやり吟社を創立し「川柳きやり」を創刊。この「きやり」は、昭和初期には全国を代表する柳誌に発展しました。

  蛇穴を出づるに似たるわが思い 周魚
  ひもじさはみんなおんなじ台秤  〃
  大晦日こんど机をこう置こう   〃


村田周魚は、六大家の中では比較的地味な存在といわれています。新興川柳華やかなりし大正末期、周魚はあくまでも「私の句は私の日録」と、日常の生活感情をベースに平明な句を詠み続けました。そのため「伝統・既成川柳」と批判されることも多々あったようです。
しかし、戦時中多くの川柳家があるいは筆を折り、あるいは軍事色の強い翼賛(よくさん)川柳を作らざるを得ない状況下で、周魚は決して自らの姿勢を変えませんでした。新子学長が、よく「平凡から脱するには平凡に徹するのがポイント。平凡に徹すれば非凡になる」とおっしゃいますが、この言葉は、そのまま周魚その人に当てはまるような気がします。
たとえば日本が宣戦布告した昭和16年。「十二月八日朝」と題した周魚の句は「おほみこと師走八日のほがらかさ」……。
どぎつさのないおっとりとした時事吟。これはなかなか詠めるものではありません。
そしてまた、戦時下で多くの柳誌が休刊を余儀なくされていた時代、「きやり」だけはいちども休刊せずに発行され続けていたというのも注目に値するでしょう。

昭和42年4月腸閉塞のため死去。享年77歳。平凡に、したたかに、きやり一筋の生涯でした。

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